(写真提供: https://www.renaissancerecoverycenter.com/addiction-downward-spiral/)
<久々のブログ更新です>
- 皆さんもご存知の通り、今、シリコンバレーではかつてないほどの”モラルハザード”が露呈しています。UberのCEOの事実上の更迭をはじめ、新興VC勢力の一角のVCファンドでも軒並み創業パートナーがこちらも事実上の更迭を強いられる事態が異常な頻度で起きています。これらのファンドの多くは、FacebookやZinga等(もうすっかり懐かしい名前ですね・・・)、それまでの半導体やコア・テクノロジー系といったシリコンバレーの主流をなしたコテコテの技術系スタートアップから、次第にソーシャル系・サービス系のスタートアップが勃興し始めた2010年前後以降に勢いよく成功裏に設立されたファンドが多くを占めています。それらのファンド設立者も概ね2000年代を通じてPaypalやFacebook、Google等で中心的なプロジェクトのエンジニアとして働いた経験のある30代~40前後のパートナー達が中心を成しています。
これはもちろん時代の流れそのものであり、こうした彼らに投資資金を委ねて次なる「Next Big Thing」の恩恵を受けようと、多くの資金が集まりやすくなってきたというのが背景にありますが、総じて、筆者がシリコンバレーでインキュベータとして、そして、さまざまな事業会社やスタートアップと仕事を手掛ける中で感じることは、彼らとの会話の中心が「いくらお金儲け出来るか」であり、投資対象であるスタートアップや起業家のアイディアがどう人々の生活や課題に良い影響をもたらすのかといったところに以前ほど重きが置かれていないように感じる点です。これは、2000年以前や2010年以前頃までのシリコンバレーではあまり考えられない傾向です。実際に、日本においても全く一緒ですが(むしろ日本のほうが顕著・・・)、VC同士の会話でまず先に出る一言が「何か儲かる話ない❓」であり(特に実際、日本のVC界隈でこの言葉を良く耳にします)、まるで、投資銀行マンのような発想しか持たないような人間が増えてきている証拠に思えます(かつて投資銀行業界に身を置いた筆者が痛感)。こうした発想の投資家の多くは、トレンドばかり追いますが、純粋に起業家と向き合ってその発想と着眼点を冷静に深く洞察しようとする要素が欠如しているとの印象を受けます。その結果、猫も杓子も同じような投資ばかりに奔走し、従来VCが果たしてきた役割である、次世代を担うテクノロジーやサービス、アイディアに投資をするという部分が軒並み低下してきているように思えます。いわば、ウォール街化したシリコンバレーと言えます。そうした風潮が加速していく中、今回の悪しき風習が次々と明るみになってきているというところに、お金ばかり追い求めるあまり、それ以外の、より大切な要素を置き去りにしてしまっている傾向を読み取ることが出来ます。
本来、そのような若きキャピタリストに大金を預けるLP(Limited Partner=有限責任者・・・出資者)が、ある意味、ファンド(すなわち、その運営者であるGP)を監視・モニタリングをすべきなのですが、それを怠ってきている点が、この悪しき風潮のようなものを許容してしまった大きな原因の一つであると考えます。無論、モラルや常識とお金への腐心とが完全に相関関係を成すとは限りませんが、要は、キャピタリストの素性や人間性、素質をもっとじっくり事前に吟味をしてから出資をすることが本来求められるはずが、その部分が形骸化してしまった為、結果として、現状を導いてしまっているものと推察されます。
ましてや、ベンチャーキャピタリストの大切なスキルとして求められるものとして、「起業家の素質や人柄を見抜く」というものがあります。凄腕エンジニア気質として技術がいくら理解を出来ていても、コンサル上がりの「経営フレームワーク」の操り方に長けていても、ファイナンスについていくら知識が豊富なキャピタリストでも、この、「起業家の素質や人柄を見抜く」という本質的な素養がなければ(あるいは養わなければ)結局はキャピタリストは全く務まりません。そもそも、"ハンズオン投資”に求められるキャピタリストの大きな役割の一つは、経営者・起業家をきちんとモニタリングをすることです。そんなキャピタルストが本来求められる中、当事者がこんな有り様では、まぁ世間からは三行半を突き付けられますよね。もちろん、一部の事象で全体を判断することは正しいアプローチではありませんが。
VCとは、もともとは泥臭く、人間臭く(良い意味で)、ウェットな要素が大きい職種であると捉えていますし、これからもそうあり続けるであろうと思います。しかしながら、今のシリコンバレーをはじめとするスタートアップのダイナミックスにおいて、この部分が少し取り残されたまま、それ以外の部分ばかりが進化ばかりしているような気がします。もう一度原点に立ち返る時期にあるのかもしれません。そして、前述の通り、VCが起業家やスタートアップをモニタリングを行うのと同様、VCへ出資金を拠出するLP出資者(個人、事業組織等を問わず)も、自分達がお金を預けるファンド運営者たちをもっときっちりとモニタリング機能を果たすべきです。そして、キャピタリストが若年化する今、キャピタリストを「育てる」という役割も再び必要となると思います。恐らく、今、シリコンバレーではその部分が欠けてしまっているということを伺わせる最近の出来事です。
そして、起業家やスタートアップの皆さんも、自分達に投資をする投資家がどういう人達か、逆にデューデリジェンスを行うようにしましょう。
- 皆さんもご存知の通り、今、シリコンバレーではかつてないほどの”モラルハザード”が露呈しています。UberのCEOの事実上の更迭をはじめ、新興VC勢力の一角のVCファンドでも軒並み創業パートナーがこちらも事実上の更迭を強いられる事態が異常な頻度で起きています。これらのファンドの多くは、FacebookやZinga等(もうすっかり懐かしい名前ですね・・・)、それまでの半導体やコア・テクノロジー系といったシリコンバレーの主流をなしたコテコテの技術系スタートアップから、次第にソーシャル系・サービス系のスタートアップが勃興し始めた2010年前後以降に勢いよく成功裏に設立されたファンドが多くを占めています。それらのファンド設立者も概ね2000年代を通じてPaypalやFacebook、Google等で中心的なプロジェクトのエンジニアとして働いた経験のある30代~40前後のパートナー達が中心を成しています。
これはもちろん時代の流れそのものであり、こうした彼らに投資資金を委ねて次なる「Next Big Thing」の恩恵を受けようと、多くの資金が集まりやすくなってきたというのが背景にありますが、総じて、筆者がシリコンバレーでインキュベータとして、そして、さまざまな事業会社やスタートアップと仕事を手掛ける中で感じることは、彼らとの会話の中心が「いくらお金儲け出来るか」であり、投資対象であるスタートアップや起業家のアイディアがどう人々の生活や課題に良い影響をもたらすのかといったところに以前ほど重きが置かれていないように感じる点です。これは、2000年以前や2010年以前頃までのシリコンバレーではあまり考えられない傾向です。実際に、日本においても全く一緒ですが(むしろ日本のほうが顕著・・・)、VC同士の会話でまず先に出る一言が「何か儲かる話ない❓」であり(特に実際、日本のVC界隈でこの言葉を良く耳にします)、まるで、投資銀行マンのような発想しか持たないような人間が増えてきている証拠に思えます(かつて投資銀行業界に身を置いた筆者が痛感)。こうした発想の投資家の多くは、トレンドばかり追いますが、純粋に起業家と向き合ってその発想と着眼点を冷静に深く洞察しようとする要素が欠如しているとの印象を受けます。その結果、猫も杓子も同じような投資ばかりに奔走し、従来VCが果たしてきた役割である、次世代を担うテクノロジーやサービス、アイディアに投資をするという部分が軒並み低下してきているように思えます。いわば、ウォール街化したシリコンバレーと言えます。そうした風潮が加速していく中、今回の悪しき風習が次々と明るみになってきているというところに、お金ばかり追い求めるあまり、それ以外の、より大切な要素を置き去りにしてしまっている傾向を読み取ることが出来ます。
本来、そのような若きキャピタリストに大金を預けるLP(Limited Partner=有限責任者・・・出資者)が、ある意味、ファンド(すなわち、その運営者であるGP)を監視・モニタリングをすべきなのですが、それを怠ってきている点が、この悪しき風潮のようなものを許容してしまった大きな原因の一つであると考えます。無論、モラルや常識とお金への腐心とが完全に相関関係を成すとは限りませんが、要は、キャピタリストの素性や人間性、素質をもっとじっくり事前に吟味をしてから出資をすることが本来求められるはずが、その部分が形骸化してしまった為、結果として、現状を導いてしまっているものと推察されます。
ましてや、ベンチャーキャピタリストの大切なスキルとして求められるものとして、「起業家の素質や人柄を見抜く」というものがあります。凄腕エンジニア気質として技術がいくら理解を出来ていても、コンサル上がりの「経営フレームワーク」の操り方に長けていても、ファイナンスについていくら知識が豊富なキャピタリストでも、この、「起業家の素質や人柄を見抜く」という本質的な素養がなければ(あるいは養わなければ)結局はキャピタリストは全く務まりません。そもそも、"ハンズオン投資”に求められるキャピタリストの大きな役割の一つは、経営者・起業家をきちんとモニタリングをすることです。そんなキャピタルストが本来求められる中、当事者がこんな有り様では、まぁ世間からは三行半を突き付けられますよね。もちろん、一部の事象で全体を判断することは正しいアプローチではありませんが。
VCとは、もともとは泥臭く、人間臭く(良い意味で)、ウェットな要素が大きい職種であると捉えていますし、これからもそうあり続けるであろうと思います。しかしながら、今のシリコンバレーをはじめとするスタートアップのダイナミックスにおいて、この部分が少し取り残されたまま、それ以外の部分ばかりが進化ばかりしているような気がします。もう一度原点に立ち返る時期にあるのかもしれません。そして、前述の通り、VCが起業家やスタートアップをモニタリングを行うのと同様、VCへ出資金を拠出するLP出資者(個人、事業組織等を問わず)も、自分達がお金を預けるファンド運営者たちをもっときっちりとモニタリング機能を果たすべきです。そして、キャピタリストが若年化する今、キャピタリストを「育てる」という役割も再び必要となると思います。恐らく、今、シリコンバレーではその部分が欠けてしまっているということを伺わせる最近の出来事です。
そして、起業家やスタートアップの皆さんも、自分達に投資をする投資家がどういう人達か、逆にデューデリジェンスを行うようにしましょう。